月の見たモノ

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ペット火葬

ナナが18歳の誕生日を迎えてから、
そろそろお迎えが来る日のことを考えておかなくちゃいけないなと思い始めた。

何も具体的な事は知らないので、色々と聞いてみると合同火葬というのをしているお寺がある事を知る。

ペットを預けると、何体か集めて一緒に火葬してもらい、合同で埋める。
毎年供養してもらう事ができるそうだ。

お友達は個人火葬の設備のある葬儀社へ遺体を運んで葬儀をした。

電車で行くというのも大変だったと思うし、更にとても高価(50000円)であった。

うちはどうしようかと思って更に探してみるとペット火葬車というものが近所に見つかった。
自宅まで火葬する設備のある車で来てくれるのだ。

料金は全て込み(火葬、骨壷、カプセル)でナナの大きさだと21000円だった。
5~10キロの動物はこの値段になる。これは安いねとあちこちで言われた。安いそうだ。

結局我が家はこのペット火葬 アーバンにお願いした。
亡くなった後で電話をして火葬の予約を入れる。それだけ。翌日には来てくれた。

本当の事を言うと、この亡くなった後にずっと遺体のそばにいるということが何よりも辛かった。
姿はそのままそこにあるのに、それはもうナナではないのだ。

ふと探して「寝てる」と思う。すぐに「違う、死んでるんだ」と思い直す。この繰り返し。
夜中にもまたふと目が覚めてナナを見るけど、やっぱりそこに姿はあってもナナはいなかった。

この長い長い時間が今思い出しても胸が苦しくなるほど辛い時間だった。
ナナはどんどん冷たく固い体になっていくのに、見ると寝ている姿にしか見えない。

夕方に来てもらうことにしたので、少し前に遺体をベットから出して出発の準備を始めた。

遺体は箱に詰めたりせず、ナナはいつも使っていたバスタオルにくるみ
大好きだったアルパカのぬいぐるみと、ドックフードを少しカップに入れて持たせた。
好きだった服を掛けて、遼さんがくれた花を小さなブーケにした。

お気に入りだった洋服には私の苗字とナナの名前を書いた。
迷子にならないように小学生の服みたいに「○○ナナ」と書かれた服はどこまでも愛しかった。


玄関先に車がつけられ、まさに火葬の設備そのままが車のドアを開けるとそこにあった。

「頭を向こうにして寝かせてあげてください」と言われ、私は「ちょっと待って」と一瞬引きとめてから
最後のキスをナナにした。
「ナナありがとうね。ありがとう。またね。また会えるよ。またね」と、何度もキスをしてお別れをした。

そういうのを担当の方はただジッとそこに佇んで待っていてくれる。

近所のおばさんが「あら、どうしたの?」と声を掛けてきた。
葬儀社の方は説明して「良かったらお焼香して行ってください」と声を掛けてくれた。
ナナの為にお焼香してくれる人が一人でも増えてくれて嬉しかった。

余談だけど、ナナが大好きだったアルパカのぬいぐるみは、可愛がり過ぎてボロボロだった。
当日の朝壊れている部分を縫い直してお腹の中に私の髪の毛を少し縫い付けた。
ナナがこのぬいぐるみと一緒にいる限り私もご一緒させて欲しかったのだ。
ナナが寂しくないように。そして私が寂しくないように。

そしてナナの毛も糸で束ねて少しだけもらった。
金色に輝くこの毛が本当に美しくて柔らかくてどこに行っても
「ぬいぐるみみたいですね」と言われた自慢の毛だ。
「少しだけちょうだいね。大切にするから」ハサミで丁寧に切った。


家族10人のお焼香が終わると「最後なので触ってあげてください」と、声を掛けてくれた。
みんながナナを撫でたり、手を握ったり、最後の本当に最後のお別れをした。

みんなで合掌してお別れが終わると、ナナはスーッと暗い箱のような闇に入って行った。
もう悲しくなかった。ナナはこれで自由になるのだ。

持って行けるものは全部持たせた。迷子にならないように名前も書いた。
私の髪も持たせた。もうする事は何もなかった。
アルパカを抱きしめて、小さな花束を横に置いて、ナナは世界一可愛い顔をして旅立つ。

2時間後、ナナは小さな小さな骨壷に入って帰ってきた。
骨を拾うこともできるのだけど、お任せした。お骨は粉骨にしてもらった。

小さなカプセルにそのままの形で残ったナナの真っ白な爪を6個入れてくれた。
きれいなオブジェみたいな、小さな小さな爪。ナナが私たちの元で生きていた証し。大切にするね。

まだナナの骨をどうするかは決めてない。
でもナナは自然に、土に帰っていきたいだろうなと思っている。生き物は土に返るのが一番自然なこと。
いつまでも私のそばに置いておくのは違うなと思っている。

信仰のない私には死後どうしたらいいのかわからない。
わからないなりに、仏壇の代わりになるものが欲しいなと考えている。形にはこだわらない。
ただいつも思い出せるように、みんなの笑い声の中でナナを忘れないようにしたいなと思っている。

仏教によればまだナナはここにいるらしい。
夕べ黙々と仕事をしていたら、ふと「心配なんてすることない。心配の必要はないんだよ」と頭の中に響いた。
私がそう思ったのか?そうだとしても、私はビックリした。

「えっ?心配しなくていいの?あ、そうか。もう神様の所に行くんだから心配の必要はないか・・・」と思い、
なるほどねと安心した。その想いはどこから来たのかわからないけど、確かに教えてくれたのだ。

今心にあるのはナナの心配ではなく、ただただ寂しさだけ。これはきっと時間が解決すること。
私はね、大丈夫。毎日少しずつ回復してる。大丈夫。
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by syu1212h | 2014-04-17 20:20